インドと日本の間で

インドと日本の間で感じるこちらを中心に、つれづれなるままに。

インドから、ママと弟がやってきた!

先日、インドから家族が遊びに来ました。

 

主人のママと弟。

 

2人にとって初めての日本は刺激的で、

 

空港内ではもちろん、空港から出てからの車の移動中も、

 

東京の夜の景色を見て感動していました。

 

(私にとってインドの生活が刺激的なのと同じように!)

 

(2人の大冒険は、記念に毎日絵日記に綴って行く予定です!)

 

初めての日本。

初めての私たちの家。

ドキドキワクワクな2人。

 

そんな2人が帰宅後、すぐにしたこととは?

インドで買ってきたお菓子「barfi(バルフィ)」を

スーツケースから取り出して、ひとかけらちぎると、

窓の外に投げ捨てました。

(節分の日の「鬼は外ー!」的な感じで)

 

そして、もう一つ取り出して、

私たちの家の神棚へお供え

 

これは、

長い旅路のどこかで

自分達についてきているかもしれない魂を

追い出すための儀式だそうです。

 

思い返せば、インドでの生活でも、

甘いものを食べてすぐ、外出する際は、

塩を舐めるよう言われた事がありました。

 

魂は甘いものがお好きなようです。

 

初日から早速インドの風を感じた私は感動。

 

2人が日本で過ごす2ヶ月間、

私にとっても沢山の発見がありそうで

これからの毎日が楽しみです♪

 

鉄欠乏性貧血の方へ。

鉄剤&ビタミンC剤の正しい服用方法

 

先日、鉄欠乏性貧血と診断を受け、

鉄剤(カプセル)ビタミンC剤(粉末)が処方されました。

 

おっちょこちょいな私は、

服用回数を間違えてしまったので、

同じ症状の方向けに投稿させて頂きます。

 

飲むタイミング

▶︎食間もしくは食後

※空腹時に服用すると、副作用が出やすくなるようです。

(頭痛や吐き気など)

 

服用回数

鉄剤▶︎1回/日 夕食後

ビタミンC剤▶︎3回/日 毎食後

鉄は1日1回なので気をつけてください!

 

ドジな私は、1日目に鉄剤を朝昼晩3回飲んでしまいました。。

幸い、お薬手帳にお薬情報を貼り付けたタイミングで気づき、事なきを得ました。

 

あと、服用して数日後には、

便の色が黒くなります!

(ドクターにも、薬剤師さんにも説明を受けていましたが、ビックリするほど黒くなります!)

 

お薬は出来れば飲みたくありませんが、

これも体内の酸素を増やすため!

自分のためでもあり、

今後新しい命を迎えられるため!

 

食事と併用して血液環境が復活するよう頑張ります!

 

 

人生初!鉄欠乏性貧血。

1年ぶりに血液検査に行ってきました。

 

血小板は、7.4万/μL でまずまずの数値。

(以前は、5〜6万でしたが、最近は6〜7万をキープしています♪)

 

ですが、、、、

 

ヘモグロビンの数値が驚くほど低く、7g/dl でした。

(個人差はありますが、一般的なヘモグロビンの正常値は13g/dlとされています)

 

「鉄欠乏性貧血ですね」とドクター。

 

今まで、貧血とは無縁の人生だったのに。。

 

確かに、妊娠発覚から稽留流産の期間、

息切れや、めまいが増えていたな〜と実感。

 

てっきり体力が落ちたのかと思っていましたが、

貧血になっていました。

 

今まで標準的な体格で、

強い身体だと思っていた私が貧血に。

驚きました。

 

女性の身体は、色んなライフステージで

こんなにも大きく変化するものなんですね。

 

なので、特に女性にお伝えしたい!!

少しでも体調の異変を感じたら、

是非!血液検査で状態をチェックしてください〜!!!

体力が落ちただけではないかもですよー!

 

ということで、ベジタリアンな私は、

鉄分豊富なフルーツや野菜をよく食べ、

処方された鉄剤&ビタミンC剤を服用して、

回復を目剤します!

 

無理せず、ほどほどに。

きっと神様からそう言われているのかも。

 

特に、女性は何かと些細な事に気づいてしまい、

ついつい自分の体調を後回しにしがち。

「まあいっか」と目をつぶることも大切!

自分を労ってあげましょうね。

 

同じ症状でお困りの方、

下記の食材メモを参考に、

食生活に取り入れてください!

 

👇👇👇👇👇

 

\旬の食材をメインにピックアップ!/

【ベジな私の鉄分食材メモ】

◎桃◎バジル◎枝豆◎納豆◎ひじき◎豆乳◎厚揚げ

◎青のり◎昆布◎パセリ

(豆類や海藻類がGood!)

 

\鉄分の吸収を良くするために/

【ビタミンCを多く含む食材も忘れずに!】

◎オレンジ◎じゃがいも

(野菜、果物、いも類がGood!)

 

\鉄分の吸収を妨げるものは控えめに/

×乳製品×コーヒー×紅茶×スナック菓子×清涼飲料水

 

自分を大切に。

 

 

稽留流産【最終回】

やっと最終回に辿り着けました(汗)

描き始めたら、たくさんの事があり、長くなってしまい

すみません。。。

ここまで読んで頂いた皆さまありがとうございます。

稽留流産の体験談、最終回です。

 

2022年5月1日(日)夜20時頃 救急車でかかりつけの病院へ

 

救急隊の方々の処置のお陰で、無事に

かかりつけの病院に辿り着く事が出来ました。

 

救急車の中で、検温をした時に、39℃の熱があり、

車内はザワついていたようでしたが、

病院でのPCR検査では「陰性」の確認が出来、

無事に処置室へ入る事が出来ました。

 

PCR検査の結果を待っている間は、

急患用の部屋に運ばれ、

ベッドの上でただただ腹痛との闘いでした。

 

身につけている装飾品は全て外さなければならず、

インド人の主人を持つ私の体には、

至る所に装飾品があり、看護師さんが苦戦していたのは、

朦朧としていた中でも記憶にあります。

 

①両手首の両足首の装飾品 計4個

②左手薬指の指輪 2個

③両足人差し指の指輪 2個

④ネックレス 3個

⑤ピアス 2個

 

特に足首のアクセサリーはインドのもので、

外し方も知恵の輪のような作り。

外し方がわからない、と看護師さんに聞かれましたが、

私にもわかりません、主人に聞いてください、としか答えられませんでした。

(その後、なんとか外せたようでした。)

 

外した貴重品は、丁寧にボックスに入れてくださり、

朦朧としている私にまとめて置いておきますからね、と

声をかけてくださいました。

 

何度も貧血のような症状が起きる

 

腹痛は波があり、

腹痛がきては、排出される、の繰り返し。

 

血圧も下がり、意識は朦朧。

 

頭はぐるぐるするし、

気持ちも悪い。

 

貴重品の確認書類にサインが欲しいので、と

声をかけられ、ベッドを起こすが、

ベッドを起こすと目が回り、気持ちが悪くなる。

 

休日当番医のドクターは

まだ移動するのは困難だと判断したようで、

「貧血症状が落ち着いたら処置室に移動しましょう」

としばらく急患用の部屋で待機することに。

 

急患用の部屋のベッドの上で、

数分なのか数時間なのかわかりませんが、

腹痛・排出・めまい・吐き気

と闘い続けました。

 

泣き虫で弱虫な自分が、

側に、隣に、家族がいなくても闘えたことは、

今考えると、すごい事だと感じています。

 

でも。

 

この間、不思議と

家族の空気を感じていました。

 

きっと朦朧としていたからだと思いますが。

 

遠くから、

実家の母の声、父の声、姉の声、

そして、主人の声。

家族の声が聞こえた記憶があります。

 

もちろん、実家の家族は病院には来ていません。

主人も、コロナの関係で、病院の中の処置室には

一切入れませんでした。

 

今思うと、幻聴ってやつでしたね。

 

産婦人科の処置室に移動

 

脈拍や、血圧の状態を確認して、

ドクターが部屋を移動しましょう、と

声をかけてくれる。

産婦人科の診察台へ移動。

 

ゆっくりとベッドから起き上がり、

自分の足で歩き、

いつも赤ちゃんの状態を観察する時に座る診察台に座る。

 

これだけの動作なのに、

起き上がると、目が回り、気持ち悪くなる。

歩くとフラフラして力が出ない。

診察台に座ると、目が回り、気持ち悪くなる。

 

こんな状態で、ドクターもナースも、

ゆっくりと、私の体調を確認しながら応対してくれた。

 

ドクターの処置で、子宮の入り口で滞っていた

内容物を出してもらいましたが、

これがものすごく痛くて、泣きました。

 

でも、外に出た事で、腹痛は落ち着き、

「これで、少し体調が回復したら、今日中に帰宅出来ますよ」

とドクター。

 

しばらくベッドで休み、点滴が全て落ちたことを確認して、

車椅子に乗って、主人の待つ控室へ運んでもらった。

 

力は入らなかったけど、

会計を済ませて、子宮収縮剤を処方され、

タクシーで帰宅。

 

深夜0時過ぎ頃、無事に帰宅して、

我が家のベッドでゆっくりと休みました。

 

最後に

 

今回、このような経験ができた事、

今は、ありがたいと感じています。

 

私は基本的には健康体で、

(特発性血小板減少性紫斑病はありますが、軽症なので)

妊娠・出産って、

誰もがスムーズに経験する事だと勘違いしていました。

 

でも。

今回の事があったからこそ、

世の中には、

お子さんを育てている方々の中には、

実は流産を経験されている方がいる、

という現実を知る事が出来たし、

 

流産ということの

大変さ、辛さ、苦しさはもちろん、

この経験で得られる多くの

気づきを学ぶことが出来ました。

 

なので、今回の経験を綴る事で、

1人でも多くの方の支えに

少しでもなれたら、嬉しいな、と思っています。

 

稽留流産から3ヶ月経とうとしている現在。

6月中旬には1回目の生理。

7月中旬には、2回目の生理を迎えました。

また新しい命が宿ることを願って、

毎日、自分らしく、楽しく過ごすようにしています!

 

最後までご覧頂きありがとうございました!

 

稽留流産【後編③】

2022年4月16日(土) 姉に電話で伝える

前日、婦人科での内診で、お腹の赤ちゃんの心拍が止まっていると

知らされ、その夜はなかなか寝付けませんでした。

時間だけが過ぎ、気づくと時計は朝4時を表示。

倦怠感を感じ、しばらくはベッドの上でぼーっと過ごしていましたが、

6時半に思い切ってベッドから起き、身支度をしてウォーキングへ。

 

少し肌寒い朝の空気。

 

こんな時は思い切り大好きな合唱曲を歌いたーい

と思って堤防へ向かって歩きましたが、

周囲の目が気になり断念。

 

諦めて川沿いを歩き続けました。

 

昨日たくさん泣いて、

たくさんの女性の経験談や励ましの言葉に勇気をもらって、

自分の中で心の整理がつきつつあったので、

姉だけには伝えておこうと、意を決して電話をかけました。

 

赤ちゃんが動いてない、ということ。

稽留流産であること。

手術で取り出した方が出血のリスクが少ないこと。

もしかしたら、赤ちゃんの心拍がまた聞こえるかもしれないと

希望を持っていること。

子供が生まれたら、一緒に歌を歌いたいこと。

今のところ、流産のことは姉以外には話す気がないこと。

 

いつもと同じ空気で、

私の気持ちをただ聞いて、

受け止めてくれる姉。

かけがえのない存在。

 

姉に話したことで、また少し心の整理ができたように感じた。

 

次回の受診日は3週間後の5月6日(金)。

私の中にきてくれた大切な命。

責任と愛を持って私の力で守りたいと強く思う。

 

そして、

 

この「いのち」は私に経験やスキルを与えてくれた。

 

何事にも怖がりで、臆病で、泣き虫な私に、

 

妊娠初期の大変さ。

妊娠中のメンタルのトレーニング。

妊娠中の運動の仕方。

生まれてきたら子供と何したいかの想像。

女性であることに誇りを持つこと。

 

この「いのち」はそういう気づきを私に与えたくて

私のところにきてくれたのかな、と考える。

 

私はまだ諦めない。

もしかしたら動くかもしれないこの「いのち」を

体の中に感じながら日々を過ごそう。

 

2022年4月17日(日) インド人の友達とビーチヨガ

主人の友達でヨガインストラクターのインド人と

仲間内でビーチヨガをすることに。

 

朝7時〜ビーチヨガをして、

月一回のマルシェを堪能して、

インドカレー屋さんでランチして、

その後、伊豆へ行くことに。

 

車で移動し、到着してまずは温泉へ。

すると、少量の出血をしていることに気づく。

せっかくでしたが、温泉は入らずに退館。

 

その後、友人のペンションへ移動。

この日は、自然に囲まれながら、

ゆっくり休むことが出来ました。

 

この日から1週間、

不思議と、毎日大好きな人と会うことができ、

大好きな人たちからたくさんパワーをもらう日が続きました。

 

2022年4月28日(木) 気づいたら。。。

稽留流産と分かってから、

 

悲しくて、

不安で、

怖くて、

なんとか受け入れて、

 

自分で前向きに進んでいこうと努めていました。

 

でも、気づいてみたら。

 

いつも側にいてくれる大切な人たちが

心の支えになっていました。

 

こんなに温かな人たちに囲まれて私は幸せ。

 

1週間前は落ち込んでいた自分が

驚くほど元気に笑ってる。

 

傷つくのが怖くて

他人のことが信じられなくて

なるべく群れることを避けて生きてきた私でしたが、

そんなことばかりでない、と気づかれてくれた。

 

みんなのお陰でもあり、

宿ってくれたいのちのお陰でもある。

 

私の魂を成長させるための人生。

 

次の人生のために、

 

たくさん学んで、

色んな出逢いをして、

たくさんの気づきを得て、

自分らしい生き方を選んで、

周囲の人たちにHappyを分けられる。

 

そんな人生を築いていこう。

関わる全ての人に感謝の気持ちが溢れる日でした。

 

人は1人では生きていけない。

感謝。

 

2022年4月21日(木) 畑で貧血

畑で作業中、

目の前に黒い点がいくつも見え、

耳が遠くなり、

気持ち悪くなる。

 

数分横になり、帰宅。

 

2022年4月30日(土) 破水のような出血

Zumba中、動き初めて15分経った頃、

膣からバシャーと水が出たような感じがし、トイレに駆け込む。

水のような出血を確認。

 

2022年5月1日(日) 自然排出

昨夜から少量の出血が続く。

 

腹痛が定期的に起き始める。

 

気晴らしに主人とショッピングモールに行くも、

腹痛で何度もトイレに行ったり、

頻繁にベンチで休んだり、

ショッピングがままならなくなる。

 

15時頃。

トイレでナプキンを変えると

1cmくらいの血の塊のようなものが2〜3個ついていた。

 

どんどんと強くなる腹痛に耐えきれなくなり、

帰宅することに。

 

18時頃。

帰宅してすぐにトイレに入ると、

ドゥルンとレバーのようなものがナプキンに。

その後もドゥルン、ドゥルンと、同じような塊が出続ける。

 

一旦お腹の痛みが治まり、ベッドに横になる。

 

かかりつけの病院に電話。

出てきた塊は取っておいた方がいいか確認すると、

「今の状況だとどうすることもできないので、

 取っておかなくて大丈夫です。」と。

「もし体調が悪化するようなら、休日医の日ですが、

 病院に来て大丈夫ですからね。」と言われる。

 

電話を切ると、また痛みが増し、トイレに向かう。

 

お腹の痛みと排出を繰り返すうちに、

だんだんと意識が遠くなるのを感じる。

 

耳がキーンとして遠くなる。

気持ち悪い。

頭がグルグルする。

目の前が真っ白になる。

 

ダイニングの床に横になる。

 

お腹が痛くなり、排出したいけど、

便座に座る力が入らず、

お風呂場に横になる。

 

主人の声が遠くから聞こえる。

救急車を呼んでいる。

救急隊の方と電話越しに話す声。

 

苦しい、怖い、助けて。

 

頭の中はその言葉だけになった。

 

救急隊の方々が来た時も、

力は入らず、

意識は朦朧としていた。

 

救急車でかかりつけの病院へ。

 

救急車の中でも、腹痛と排出は続いた。

 

稽留流産【後編④】へ続く

 

 

稽留流産【後編②】

2022年4月11日(月)

深夜1時 内臓を誰かに握りとられるような痛みで目が覚める

前日に楽しくZumbaで汗を流したり

インドカレーを食べに行ったり

畑の石拾いをしたりと、クタクタになった私は

家に帰るとベッドでいつの間にか眠ってしまっていました。

その夜中。

呼吸ができなくなりそうな苦しさで飛び起きました。

誰かの腕が私のお腹をめがけて天井から伸びてきて、

内臓を持っていかれるような感覚。

苦しくて気持ち悪い。

なんとか呼吸を整えようと意識して、

もう一度ベッドに横になり眠りについた。

 

この日の経験は忘れられない程の衝撃でした。

 

2022年4月15日(金) 3回目の婦人科受診

心拍が聴こえない。

いつも通り、バスを乗り継ぎ1時間かけて病院へ。

いつもなら、病院に到着する頃にはバス酔いでフラフラなのに、

今日はバス酔いしなかった。

前回の受診日から今日までの2週間の間、

わりと調子が良く、なんだか胸がザワザワ。。。

前回の内診で、「胎嚢の中の赤ちゃんの大きさが小さい」

と言われていたし、もしかしたら。。。と嫌な考えばかりが

頭の中に浮かんでくる。

予約時間通りに診察室に呼ばれ、内診。

前回同様、モニターを見たまま、黙っているドクター。

嫌な空気。

カーテンが開き、「一緒に見てもらえますか?」と声がかかる。

 

「赤ちゃんの成長が止まっています」

 

心が止まった。

 

「胎嚢の大きさも前回と変わっていませんね。

 赤ちゃんの大きさは5mmと測れますが、

 成長が止まっています」

 

涙が出ないように自分の心を必死でコントロールした。

 

内診台から降り、着替えて、改めてドクターの話を聞く。

 

「今後の選択肢としては2つあります」

「手術をして、①お腹の赤ちゃんを取り出すか、

 ②自然に出てきてくれるのを待つか」

 

私の血小板の数値のことを考えると、

自然排出は出血量があるため、手術を選択した方がいいのでは?

とドクターは提案しましたが、

私は、自然に出てきてくれるのを待ちたいと伝えました。

 

ドクターは、私の意思を尊重してくれ、

自然排出を待つ上で私の体にとってのリスクや対応について

説明してくれました。

 

「サラサラとした血が止まらず、出血し続けるような場合は

 すぐに病院に電話をすること。不安な症状があればすぐに

 連絡をしてください」と。

「ほとんどの方が自然に出てくるのを待ちますよ」とも。

 

そして私はこれだけは確認したい、と思い、

涙を堪えながら、

「つわり症状が辛すぎて、“もう嫌だ”と考えてしまった自分がいました。

 その気持ちが赤ちゃんに伝わってしまったんでしょうか?」

と質問しました。

ドクターの答えは「いいえ」

 

「7週の流産は、受精卵の段階での染色体異常などの

 影響が大きいので、それは関係ないです」と説明してくれました。

 

診察を終え、

 

診察室を出るときも

病院から出るときも

バスに乗っている間も

 

何度も涙が溢れそうになりましたが、

 

その度に心を強くして堪えました。

 

泣き虫だったはずの自分が、

こんなにも強くなれたことに驚きました。

 

帰宅して、家で仕事をしている主人にもバレないように、

部屋にこもって静かに泣きました。

 

自分の中で気持ちの整理がつくまでは

誰にも話さない、と心に決め、

同じ経験をされた方のブログやYouTubeを観て過ごしました。

 

助産師HISAKOさんのYouTube

乳がんと闘った女性の前向きに生きる姿を描いた

「あなたのママになるために」という映画

 

などなど、多くの女性の言葉のおかげで

落ち込んでいる心を強く立ち上がらせてもらいました。

 

中には、稽留流産と判明した後に、心拍がまた聴こえ、

出産された、という方もいました。

 

もしかしたら私のお腹の小さな命も生き返るかもしれない。

もしかしたら自然排出になるかもしれない。

 

でも確かに今この瞬間には、

まだ私のお腹の中には小さな命が存在している。

 

身に起こる事全てに意味がある。

 

そう信じて、学び続けながら、

元気に明るく過ごしていこう!と

流す涙がなくなるまで泣いた夜、決意しました。

 

 

稽留流産【後編③】へ続く

稽留流産【後編①】

後編は、妊娠発覚から稽留流産までを時系列で綴っていきたいと思います。

 

2022年3月5日(土) 妊娠検査薬で[陽性]反応

その2日後

2022年3月7日(月)  妊娠超初期症状が始まる

主な症状は、頭痛、下腹部痛、吐き気でした。

毎日症状のアップダウンがあり、

どのように過ごすのが正解なのかわからず、プチパニックの日々が始まる。

 

2022年3月11日(金) 産婦人科受診 胎嚢確認

4mmの大きさの胎嚢(赤ちゃんの袋)を確認できました。

出産までのことを考えると、

初期の段階から大きな病院で診てもらう方が良いと先生から勧められ、

次の診察は、血液内科でお世話になっている大学病院に行くことに。

 

2022年3月25日(金) 大学病院 婦人科受診

初診は予約ができず、外来受付は午前8時〜11時とのことで、

9時に到着し、受付を済ませて診察室の前で待機。

イスに座って読書をしながら待ちましたが、

途中、めまいと吐き気に襲われ、深呼吸をしながらやり過ごしました。

13時にようやく呼ばれて診察室へ。

内診はとても痛くて、診察後はさらに気持ち悪くなりました。

ドクターに直近の最終生理日を伝えると、

「胎嚢の大きさが少し小さめかもしれないけど

 排卵日がずれていたのかもしれないですね。

 次回内診して確認しましょう」と。

1週間後に次の予約を入れて、帰宅。

 

2022年3月28日(月) 茶色い出血

朝トイレに行くと茶色い血が出ていたことに気づく。

血を見たせいか、子宮も痛く感じ、仕事を休むことに。

病院に電話をすると、

「初期には出血することもあります、

 今は安静にしてください、歩くのも極力禁止です」

と。「安静」の度合いがわからず、またプチパニック。

「安静に」って家事もできない?

でもやらないと家の中はグチャグチャになる。

その状態を見るとストレスになる。

妊娠するって、こんなにも色んな意味で大変なんだと痛感。

 

2022年4月1日(金) 2回目の婦人科受診 心拍確認

内診をすると、

「胎嚢は順調に成長していて

 赤ちゃんの心拍は確認できますが、

 胎嚢の中の赤ちゃんの大きさはやや小さめですね」

「今の状態ですと、今後流産や発達障害のリスクが考えられるので、

 次回も産科ではなく婦人科で様子を見ましょう」とドクター。

この時気になって、血小板の数値も診てもらいましたが、

横ばいの 6万/μL でした。

次回の予約は1週間後でも2週間後でも良いとのことで、

バスで片道1時間の移動がキツかった私は、2週間後に

予約を入れることにしました。

(もともとバス酔いしやすい上に、初期症状もあり、病院までのバスの中で

何度も気分が悪くなっていました)

 

この日の帰り道。

ドクターから言われた「流産」「発達障害」の言葉が

頭から離れなかった私は、バスに乗るや否や、ネットで検索。

その中の記事の中に、

「お腹の赤ちゃんはママの感情を敏感にキャッチする」

と書かれたものを発見。

 

振り返れば、妊娠してからの私は、

今までできていたことができなくなる自分が許せなくて、

イライラしたり、不安になったり、落ち込んだり、、、

 

信じられないことに、妊娠したことを後悔していた自分がいました。

 

それに気づき、帰りはずっと、お腹の中の命に、語りかけました。

 

心配させてごめんね。

私はあなたに会えるのを楽しみにしてるよ。

どんなに綺麗な自然が待っているか楽しみにしていてね。

明日からはもっと自分もあなたも大切にするからね。

バスの中でも、バス停から家に帰る時も繰り返しずっと語りかけました。

 

稽留流産【後編②】へ続く